新入社員で入社したその日から楽しいことだけではなく辛いこともありました。
夜寝る前に「明日会社に行ったら、会社が爆発していてがれき撤去から一日の業務が始まりますように☆彡」と唱えながら寝ていたあの夜…。
寝ると明日になっちゃう、そしてまた出社しなければ…と思って寝れずに見た朝日…。
そんな呪いにも似た日々を続けつつも10年以上住宅営業を続けていた私が、
キャリア(…あったのか…?)を殴り捨ててでも「辞める」と決断出来たのはなぜか、を振り返ってみます。
この記事は
- 今仕事がつらい人
- 転職を考えている人
- 住宅営業マンの人、になりたい人
- 住宅営業マンに対して不信感を持っている人
におススメです
どうして住宅営業になったのか
なるべく長く「学生」でいたいと、親のすねをかじって生きていきたいその一心で「大学」という選択をしました。
4年間 遊んで暮らせる唯一のモラトリアム!
高齢者が多くなる為、職がなくなることはないだろう、という安直な考えで、私でも入れそうな福祉関係の大学へ進学。
さらに1人暮らしがしてみたい、
だけれど実家にはすぐに帰れる範囲で生きていきたいという何とも自立のできていない理由で実家と同県内で夢の1人暮らしをスタート。

こうやって書いてみると親不孝な娘で本当にごめん、と両親には顔向けできない気持ちになります…ね…。
そんな感じでモラトリアムを満喫しつつ、在学中はほとんどアルバイトしかしていませんでした。
中でも思い出深いのがメイド喫茶のアルバイト。おもしろかった。
そんな私にもモラトリアム終了が。就職活動開始だああああああ!!!



ぶおおおおおぉ~
と どこからともなく気が抜けるようなほら貝の音が聞こえますが、かなり合戦の場は遠い…。
実は福祉関係の就職活動は4年生の後期からと、卒業ギリギリにスタートだったのです…!



とりあえず、就活なれしとくか
というくらいな気軽い気持ちで3年生の前期から就職活動が出来るという「一般企業」の就職ガイダンス。
入学式の際に買ってもらったリクルートスーツを着込み「谷 出る!」とガン〇ムのパイロットも真っ青な感じで出撃するのでした。
そこで人生で初めて「自分」と向き合うのです。
小さいころから好きだったこと。これから自分がやってみたいこと。何になりたい?何をしたい?
そこで、雪が降り積もった自宅の庭の雪を踏み固め、『理想の家』を庭に作っていた自分を思い出しました。
私の実家はかなり古く、ずっと新築に憧れていたこと。
年頃女の子にはかわいそうな水洗トイレではないような家。
シャワーもなく、蛇口に直接ホースをつなぎお風呂に水をため、そこからようやく追い炊きしお風呂にするような家。
部屋数が足りず、弟と共同だった子ども部屋。
「みんながやっているから」と習わせてもらったピアノを置く部屋がなく、グランドピアノの下で眠る両親。
そんな「古い」家が嫌で嫌で仕方がなかった。


それでも両親には「早く家を建ててほしい」と言えず、庭の雪にその思いを託していた、そんな小学生だった自分を思い出し、
その頃の自分の気持ちが「マイホームを建てたい」と思っているお客様と同じなんじゃないかと思い
「住宅会社に就職してマイホームを建てる手伝いをしよう」と決めるのでした。
「太く永くお客様とお付き合いが出来、自分のした仕事が地図に残る仕事をしたい」その気持ちで、
前職に当たる住宅会社に新入社員で入社します。
同期にはもちろん建築学科を卒業している人や、私と同じく全く畑違いのことを学んだ人も様々でした。
住宅営業になってから
建築の知識もなければ、家づくりに関してのローンの知識も、予算建ての知識も全くない私でしたが、
研修や先輩社員のフォローもあり
8月に人生で初めてのお客様の家づくりを任せていただけることになりました。入社して4か月目の出来事でした。
当時は全ての打ち合わせに店長が同席してくれ、家づくりの「実際のところ」を見せてもらいました。
ただ、お客様にとっての担当者は私ではなく、同席してくれていた店長という認識でした。
考えれば当たり前のことですが、私はそれがすごーく悔しくて。
自分が担当なんだって思ってもらえるように早くなりたい
と思っていました。
そんな中、そのお客様が打合せファイルをお忘れになり、誰のものかを確認する際に開いた1ページ目に初めてモデルハウスにおいでいただいた際に私が差し上げたお礼のハガキが入っていました。
毎回の打ち合わせの終わりには、議事録と合わせてお手紙をお出ししていたのですが、それがすべてファイリングされていて、不覚にも泣いてしまいました。


その後も上司の同席のもと、別のお客様、さらに別のお客様と何年か同席営業を続け、
無事独り立ちし、その後もたくさんのお客様とのご縁を頂き気付けば10年以上経っていました。
住宅営業で楽しかったこと
嬉しいことや楽しいことはたくさんありましたが、
特に
- なんといってもお客様の家づくりのお手伝いを一番近くで出来る
-
この一言に尽きる。
人生で一番大きな買い物ともいえるマイホーム。皆さんすごい覚悟で住宅ローンを組んで、最低でも35年前後を私を信じて預けてくださる、という大きな責任と共に、
「それに見合う人」「見合う建物」「見合う会社」と思っていただけた、そう思っていただけるご案内が出来た、という嬉しさは大きかったです。 - 一生のお付き合いが出来る
-
打合せの時まだ2歳だったあの子。一緒にモデルハウスでかくれんぼしたあの子。
その子たちがもう高校受験…なんていうお話を未だに建築してくださったお客様と出来る仕事ってなかなかないと思います。
家づくりは建てておしまいではなく、そこからが本当のお付き合いのスタートだと思ってきたので
そんなお付き合いが出来るのは本当に楽しかったし、幸せでした。 谷親戚のおばちゃんポジション最高。
- ご友人やご親族、会社の方などを建築された方がご紹介してくださる
-
建築された方が「知り合いが家を建てたいって言ってるから、谷さん会ってくれない?」なんて声をかけてくださる方もいて。
それって建築されたご本人が建物や、建築した会社や私のことを気にって紹介するに値すると評価してくださったから、だと思っていました。
私を選んでよかったって思わせたいと思いながらしてきたことが伝わっているのかな、と思えてすごく嬉しくなる瞬間です。
1年間ほとんどご紹介をいただいたお客様だけで、ノルマを達成できた年もありました。 谷永久機関、最高
- 自分の価値観に共有してもらえる(こともある)
-
今までお客様との家づくりを一緒にしてきて、大成功ばかりだったわけではありません。
もちろん毎回ベストを尽くして挑みますが、
「やっぱりコンセントこうすればよかった」「あの時こうしたけれど、今はもう当時の使い方をしていない」など
住んでからしか分からないこと、住んでみて10年経って変わることなどをたくさん経験させていただきました。
その成功も失敗も含めて、新たなお客様と共有したときに、その内容に共感して頂け、
私の意見を採用してもらえるのはうれしかったな~。受け入れられた感がすごい。
などが楽しく仕事に対しても最高にやりがいを感じていました。
成績も上々だったため、会社に対してもやりたいと思ったことの意見は通りやすかったように感じます。
それなのに退職
毎日ハッピーだったし、
たまに失敗やお客様からお叱りを受けることもありましたが、気まずくて会えない、というお客様はいないように対応してきました。
でも、退職。
なぜかについて振り返ってみます。
- 自分の時間や家族の時間をないがしろにしすぎた
-
当時はかなり忙しく、仕事すればするだけ結果も出ていてすごく楽しかったし、楽しすぎたせいで仕事に没頭しすぎていました。
おかげで私生活はズタボロ。
仕事からの帰りも遅く、子どもが就寝してからしか帰宅していませんでした。
連休についても取得できた試しがなく(会社から強制されているわけではなく、自分がやりたくてしていた)、
土日はお客様との打ち合わせが多くお休みもままならず、
かなり家族には負担をかけていたと思います。夫から「家庭と仕事どちらが大事なの?」と今時ドラマでも言わないだろ、っていうセリフを聞くことに。
これは大きな転機になりました。1年で3回言われた - 自社の商品を売ることに飽きた
-
私の勤めていた会社の住宅性能という部分にはメリットもデメリットもありますが、デメリットも含めて自信を持ってお客様にお伝えしてきましたが
ずーっとその商品を売ることに飽きてしまいました。
自由設計ではあるものの、工法上「これは出来ない」「これは出来る」という線引きもありました。
また、他社の商品でも「素敵だな~」と思えるスペックのものなどもあり(ただ、その商品にもデメリットはあるのはもちろんのことですが)
自社の住宅が良いものだという自信はあるけれど、飽きた という表現が一番正しいのかな。と。
とくに家族の時間がとれなかったという部分は退職の理由の95%を占めているかも…。
担当させて頂いたお客様のところに退職のご挨拶に伺った際にも、「谷さん、働きすぎたもん…」と心配される始末…。
でも、そのくらい働いていて、担当になれて楽しかったよ!ってちゃんと伝えられて辞めるときもいい仕事だなぁと実感しました。
結局今も住宅営業ではないけれど、家づくりに携わることを仕事にしています。



今度の会社は定時で休日出勤もない!
おまけ ノルマについて
ノルマはもちろんありました。
契約棟数と利益額が。(細かく言うと請負額、利益率などいろいろありました…)
ノルマのイメージで言うと…
毎月月初に水の中に頭押さえつけられて息できなくされる!
で、契約がとれてようやく水から顔を出して息が出来て、
また、1か月が始まり水の中につっこまれる。みたいな感覚でした。


拷問かよ…
ただ、
割とコンスタントに次の契約予定のお客様、
その次の月の契約予定のお客様と見込みが見えていたのでそんなに辛くない(時もある)
住宅営業はノルマが達成できない。達成できないことに対して対策がうてないとかなり精神的につらいな~と思います。
(中には気にせず割り切っている営業マンもいるとは思いますが…)
そんな中10年以上 住宅営業をしてこれたのは本当に出会ったお客様のお陰だな~
たまに「すごく契約を急いでくる営業マンがいて…」なんて言われることもありますが、
もしかするとその営業マンはどうしても今月1件の契約がほしいという状況なくらい成績が追い詰められているのかも…。
そういう時は値引きなども頑張ってくれる(かもしれない)ので、
急いで決めることはありませんが、内容に納得できればいい条件のこともあります。
私も昔(新人~中堅時代)は
そんな感じで契約を急いていたこともありました…
この値引きなどのサービスについてはまた別の記事でまとめますね!
転職してみて
転職してみて思うのは、やっぱり住宅営業は楽しかったということ。
今の仕事も住宅営業で培ったものを活かすことが出来る職種ですが、
お客様とあんなに密に関わりあえたのは「住宅営業」だったからだと思います。
幸せな時間でした。
コメント
コメント一覧 (1件)
[…] 順風満帆だったけれど、私が住宅営業を辞めた理由 […]